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■頼朝下文 昭和40年(1965)11月1日津幡町文化財指定(古文書) 寿永2年(1183)の源平合戦で焼失した長楽寺の要請により、建久7年(1196)10月9日の日付をもって源頼朝は遠江守重頼にこの文書を与えて当地に派遣し、堂塔伽藍を再建し、寺領を寄進し将軍家の祈檮所としたと言われている。 源氏の総領である頼朝からの寄進状は、徳川家(新田源氏)と姻戚関係になった前田家には効果があったようで、前田利常が不動堂・二王堂を建立発願の際、この下文が重要な働きをしたと考えられ、この下文が長楽寺を庇護する拠りどころとなったものとみられる。 書体等からみて、この下文は江戸時代のものと思われるが、荒れ果てた当時の長楽寺の再建を語る資料として、貴重なものである。 |
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