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■歴史国道「北陸道」
 北陸道は、古代から官道・五畿七道の一つに数えられ、都に通ずる道として栄えてきた。江戸時代に入ると加賀藩の参勤交代の道として整備された。道幅はおおよそ3間から3間半で、その両脇には並松と呼ばれた松並木が作られた。この並松は、盛土の上に植えられ、盛土の外側の面には芝が敷かれていた。また、道の管理をする道番人が1里に2世帯づつ置かれていた。
 承応3年(1654)、加賀藩は、商用の荷物を脇道・舟によって輸送することを禁止し、続く明暦2年(1656)には藩士・町人ともに百姓馬による米の輸送を禁じたので、津幡・竹橋の両駅は急に賑わったという。実際、寛文6年(1666)の津幡駅・竹橋駅の常備伝馬数は、それぞれ118頭(藩内最高)・68頭(藩内3位)であった。
 倶利伽羅越えの街道は、明治13年(1880)の明治天皇の北陸行幸に合わせた天田峠の新道開削により、車社会が著しい発展を遂げる以前に旧道となったため、往時の風情が色濃く残されており、平成7年、歴史国道に選定され、整備がすすめられている。